十二単って12枚着るの?『光る君へ びわ湖大津大河ドラマ館』に見る「平安時代の女性の服装”十二単”」を一から細かく基礎解説|平安服飾文化の解説

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今年のNHK大河ドラマは日本最古の長編小説「源氏物語」の作家「紫式部」が主役の「光る君へ」。ドラマの主人公「紫式部」が活躍した「平安時代」の文化や服装が今、注目を集めています。

菊理は平安時代に最も栄えた雅楽を中心とした
「雅楽の出張演奏」「雅楽の楽器体験」だけでなく「平安装束の解説講座」「平安時代の文化解説」などの出張講座やセミナー「平安衣装の着付け体験」「十二単の販売」が大好評です。

左が清少納言、右が紫式部の十二単 於:石山寺大河ドラマ館

大河ドラマ「光る君へ」の公式ガイドブックに広告掲載した縁もあり、「光る君へ びわ湖大津大河ドラマ館」を訪問しました。
展示の見どころを分かりやすく解説しますので、まだ行っていない方は今回の記事を参考に、ぜひ会場に足を運んでみてくださいね!

「光る君へ びわ湖大津大河ドラマ館」見どころ解説!

エントランス「大判メインビジュアル」

入ってすぐ目に飛び込んで来るのはエントランスに設けられた、主人公「紫式部(まひろ)」を演じる、美しい吉高由里子さんの「大判ビジュアル」と「ウェルカムVTR」(VTRは撮影禁止です)。

この石山寺大河ドラマ館は「光る君へ」に登場する衣装や小道具、撮影の裏側を知ることができるパネルなどが展示されています。キャスト・スタッフのインタビューや大河ドラマの印象的なシーン、石山寺詣の解説なども大きな4Kシアターで映され、大津ならではの映像が楽しめます。

平安時代の服装①「紫式部の十二単」を解説

紫式部の十二単(女房装束):現在は展示されていません

足を進めると、そこには一瞬で目を奪われるきらびやかな「十二単」!ドラマ館がオープンした1月から前半までは、主役の「吉高由里子」さん扮する「紫式部(まひろ)」が着ていた装束でしたが再訪した9月時点では、「ファーストサマーウイカ」さん扮する「清少納言(ききょう)」が着ていた十二単に展示替えされていました。今回はこの2つの十二単を元に解説します。

ちなみに「十二単」という呼び方は鎌倉時代初出で、現代では「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」を正式な呼び方としていたりしますが、これは近代以降のようで平安時代の公家社会では「女房装束」と呼ばれていたようです。

この記事では、読んでくださる皆さんが分かりやすいよう、総称として「十二単」としています。

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「唐衣(からぎぬ)」の解説

唐衣 Karaginu

現代「十二単」と呼ばれる「女房装束(にょうぼうしょうぞく)」は宮中の女性の正装で、袴の上に単衣(ひとえ)を着て、その上に何枚もの衣を重ね、唐衣はそれらの一番上に羽織るショート丈ジャケットのようなものです。

写真のように唐衣の襟は大きく折り返して、裏地を見せるような仕立てをしています。また、写真のこの唐衣は表地の濃い紫色と同系色の薄紫色を裏地に使っていますね。ドラマの風俗考証担当をされてみえる佐多芳彦先生は「当時の絵巻を見ると、裏地は表生地と同系の色目より、反対色のような目立つ色合いを使っている事が多いです」「しかし、現代人の色彩感覚で見たときは、表地と裏地は同系色の方が好まれる傾向があることから、今回の衣装はこの同系色の色目を採用しました」とのこと。

唐衣 Karaginu

「髪置」とは
唐衣の首の後ろには「髪置(かみおき)」という、襟を三角形に折った部分があります。「髪の汚れから装束を守るため」との説があるようですが、こんな小さい布で?と思う不思議なパーツです。

「向蝶」とは
二頭の蝶が向かい合う姿を文様(もんよう)にしたもの。優美な向蝶文は、古代より女性に大変好まれていました。
※文様:衣服や調度などに装飾された模様のこと。一見刺繍にも見えますが平安時代の装束はすべて織物です。刺繡が衣服に使われ始めるのは室町時代以降と云われています。

ここで不思議を一つ
上の説明で「蝶」を「頭(とう)」と数えています。「一匹」「二匹」や「一羽」「二羽」ではないんですね。広く一般的には「匹」と数えるようですが、実は「蝶」を数える際は「頭」とするのが正式なんだそうです。

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「裳(も)」の解説

裳の各部の名称 Mo

「大腰(おおごし)」とは
後ろ(背中側)の腰当ての部分のこと。現代の十二単の着付けでは唐衣まで着装した上で、唐衣の上から裳を着けますから、大腰がはっきり見えていますが、平安時代は現代とは違い、裳を着けた上に唐衣を着ましたので、大腰は唐衣に隠れて見えません。ドラマではどうなっているでしょうか。注意してよく見てみてくださいね!

「小腰(こごし)」とは
後ろから前に回して結ぶ帯のような役割をするもので、何枚も重ねて着ている装束を最終的に束ねています。唐衣と同じ布(共布)で作ることが一般的。

「引腰(ひきごし)」とは
後ろに長く引いた装飾的な帯で、平安時代の裳には小腰が付いておらず、この引腰で結んでいたそうです。

「頒幅(あがちの)」とは
現代の裳には無い部分ですが、旧来は高位の女性の裳にしか付いていませんでした。原始的な裳は現代の巻きスカートのような構造をしており、その名残とも。幾多の形状があり、それぞれに諸説、云われがあり、十二単において一番ミステリアスなパーツです。

裳は「白地菱型地に下り藤染め裳」。地模様は菱形で、古来より縁起の良い文様とされています。垂れ下がった紫色の藤が優美ですね!

「衵扇(あこめおうぎ)」の解説

鳳凰が描かれた衵扇 Hiōgi

●「衵扇(あこめおうぎ)」とは
女性用の檜扇(ひおうぎ)で本来は顔を隠すための持ち物でしたが、次第に女性たちが美しさを競い合い、極彩色の豪華絢爛たる装飾品となりました。この衵扇には鳳凰が描かれていますね。

ご紹介した紫式部の十二単は、第4回放送「本郷奏多」さん扮する「花山天皇(かざんてんのう)」の即位を祝う宴「豊明節会(とよあかりのせちえ)」で登場。「柄本佑」さん扮する「藤原道長(ふじわらのみちなが)」など、上流貴族が居並ぶ御前で五節舞を披露する「まひろ」が撮影時に着ていた実物の衣装です。奥ゆかしい紫色が上品ですね!

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平安時代の服装②「清少納言の十二単」を着装順に解説

清少納言の十二単(女房装束):現在展示中

高貴な紫色をベースにデザインされたシックな紫式部の十二単と比べ、黄色や朱色が多く使われ、明るく華やかな印象を与える清少納言の十二単。衣装パーツとして展示されていた紫式部の十二単とは対象的に、清少納言の十二単フルセットは見どころ満載。着装順に清少納言の十二単を解説していきましょう。

十二単各部の名称

①「小袖」とは
下着(肌着)にあたる白い着物で「白小袖」とも言います。現代の十二単では一番最初に着ますが、この小袖が登場するのは平安時代後期以降で、それまでは「単衣」を直接着ていました。

②「長袴」とは
次に「長袴」を穿きます。現代「袴」というと足首までの長さの「切り袴」と呼ばれる袴が一般的のようですが、十二単では裾(すそ)を長く仕立てた袴で、歩く時は裾を踏んで引きずるように歩きます。「歩くのが難しそう」と思われそうですが、実際に着てみると、ちょっとコツは要るものの、案外スタスタと歩けるんですよ。

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③「単衣(ひとえ)」
「単衣」は裏地の無い衣で、枚数に厳密な決まりは無かったようです。展示品の清少納言の十二単ではこれらを5枚重ね着しています。

①鉄紺色染めの衣
鉄紺(てつこん)色とは、少し緑みを帯びた深い紺色。
②赤白橡色染めの衣
赤白橡(あかしろつるばみ)色とは、うすく赤みがかった白茶色。光の加減か薄い紫に見えますね。
③赤香色染めの衣
赤香(あかこう)色とは、橙色がかった淡い赤色。
④赤橙色染めの衣
赤橙(あかだいだい)色とは、赤みの濃い橙色。
⑤深紅色染めの衣
深紅(しんく)色とは、深い真っ赤な紅色。

④「袿(うちき・うちぎ)」とは
「中黄色地流水桜文様の織物袿(ちゅうきいろじ りゅうすいさくらもんようの おりものうちき)」中黄色とは、はっきりとした鮮やかな黄色のこと。中黄色の生地に流水と桜が織り込まれた華やかな袿です。袿は裾や袖口からは単衣が少し出るように、単衣より一回り小ぶりに仕立て、色の重なりやカラーコーディネートの美しさを競いました。これを「襲(かさね)の色目」と言い、平安の人々は装束に自然の風情を重ね合わせ、風流を楽しんでいました。

⑤「裳」とは
成人女性の象徴である「裳(も)」は、高貴な人の御前に出る時に「唐衣」と一緒に必ず身に着ける衣です。現在の裳は白をベースとしたものがほとんどですが、色や文様はさまざまだったと思われます。また、現代では次に解説する「唐衣」の上から着用するのが一般的ですが、紫式部や清少納言の活躍した頃は、裳を着けた上に唐衣を羽織っていました。

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上記「紫式部の十二単」でも解説しましたが、「頒幅(あがちの)」というふしぎなパーツ。

⑥「唐衣」とは
十二単を完成させるため、最後に唐衣(からぎぬ)を着ます。上の写真でもお分かりのようにショートジャケットのような形の衣です。目上の人の前に出る時には「裳(も)」とセットで着用しました。

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「猩々緋色地向かい鸚鵡文様唐衣(しょうじょうひいろじ むかいおうむもんよう からぎぬ)」。猩々緋色とは、はっきりとした鮮やかな赤色のこと。猩々緋色の生地に向かい合ったオウムの文様が織り込まれている唐衣です。オウムは言葉を話す霊鳥と尊重され、清少納言は「枕草子」で ”オウムは人の言葉を真似るそうよ。とても面白いわ ” と描いていますが、それを踏まえた上での衣裳デザインでしょうか。

「光る君へ」第22話ではオウムが献上されたシーンもありましたね。

平安時代の貴族女性の服装とは

各種出張体験の動画はこちらでご覧ください

Murasaki shikibu
Sei Shonagon

「紫式部」と「清少納言」、ふたりの女性の十二単(女房装束)をご覧いただきましたが、あなたはどちらがお好みでしょうか? ひな壇の最上段でおひな様が着ていることから、高貴な女性の衣装で、平安装束の代名詞とも言えるこの華やかな十二単ですが、実は、宮中のごくごく限られた女性の衣裳で、大多数の貴族女性は一生着ることはありませんでした。

では多くの貴族女性はどんな服装だったのでしょう?

はじめての袿セット01

「中宮」(天皇のお后)を始めとする高貴な家柄の貴族女性は、上の写真のような「袿姿(うちきすがた)」という身軽な衣装で、一生を過ごしました。

<写真の袿袴>
①小袖:白い着物
②長袴:緋色の長袴
③単衣:萌黄色の単衣
④袿:赤色地に三色向蝶丸文の袿

「じゃあ、十二単は誰が着ていたの?」
その答えは菊理ホームページの別の記事で解説しますね。

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「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」

光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館

●開催期間:令和6年1月29日(月)〜令和7年1月31日(金)
●開催時間:9:00~17:00 期間中は原則無休
●開催会場:石山寺境内 明王院(滋賀県大津市)
●入館料 :おとな600円、子ども300円
●その他 :有料駐車場:140台(乗用車 600円)
●公式ホームページ :https://otsu-murasakishikibu.jp/exhibition/taiga.html

「十二単」はいかがでしたか?十二単をはじめとする装束には多くの専門家が様々な解釈を文献やサイトなどで解説していますが、今回は大河ドラマ館で装束と共に展示されている説明文を元に解説しました。「この解説って違うんじゃない?」とか「本当はこうじゃない?」といったご意見も有るかと思いますが、そんなところは「こういった解釈も有るんだなぁ」と思って頂けるとありがたいです。

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